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新栄物語 第一話 動画をみる

この頃、西川興行社は社名を新栄プロダクションと改め、新たなスタートを切ります。

村田英雄の浪曲をラジオで耳にした作曲家の古賀政男は彼の才能をいちはやく認め、

「村田さん、君の声で歌謡曲を歌ってみないか」

と申し入れがありました。 最初は渋っていた幸男も浪曲と歌謡曲の2本立てではじめればよいという話に決意します。 歌謡歌手村田英雄の誕生です。昭和33年「無法松の一生」で村田英雄は歌手デビューします。 しかし、はじめはなかなかヒット曲に恵まれませんでした。 一時、ヒットに恵まれずに悩んだ村田英雄は歌手を諦め田舎に帰ったこともありました。

昭和36年「王将」レコードが世に出ます。 今度こそと期待した幸男と村田英雄ですが、発売一ヶ月たっても売れる気配はありません。期待もむなしくヒットいはいたらないかにみえました。

ある仕事の帰り、幸男は聞き覚えのある歌を駅のホームで耳にしました。

♪吹〜けぇ〜ばぁ〜飛ぶよぉ〜な〜・・・

列車の中から顔を出すと、ホームで弁当を売っている青年が口ずさんでいます。

「弁当屋さん、いま歌っていたのはなんだい?」 「えっ、村田英雄の『王将』ですけど」

『王将』は村田英雄待望の、そして、新栄プロダクション待望のヒットとなりました。

村田英雄をはじめとして、歌謡曲界に次々とスターを送り出した新栄プロダクション。

北島三郎、新川二朗、五月みどり、大月みやこ、西川峰子、小松みどり、藤圭子などなど。 そして「新聞少年」という曲で一世を風靡した山田太郎。

そうそうたる顔ぶれが揃っています。

1985年、西川幸男から息子山田太郎に社長のバトンが手渡されます。

新栄プロダクションは義理と人情にささえられ、今も多くの人々との熱い絆に結ばれています。

芸能界の創世記から現在までを駆け抜けてきた老舗プロダクション。 そこで生まれたエピソードは様々。機会があればまた別の話も。

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